他人が自分の事を客観的な視点でみて、さらに文章に書くいてくれるという事は、普通に生きていると中々ない事なわけで、まぁ余程著名人になるか、或いは週刊誌などのネタになるか…自分で言うのも何だが私自身 そんなにネタになる様な人物ではないのでこう言う投稿も珍しい事なのだ。
下記の文章は某SNSにて、僕の幼馴染が書いたものです。
改めてこの長文を読んでみると、幼馴染ながら まぁ随分な言われようだとは思うが、それこそカリスマというわけでもない、後進の美容師さん相手に商売するわけでもない私であるものの、何とか大人になれたという…(笑)
少しは若い不器用な美容師さんの励みになれば幸いなのだ(笑)
ここから
以下は10年前に書いた僕の幼馴染に関する文章です。
中学生の頃までは時々会って遊んでいたんですが、彼が当時住んでいた田端から世田谷に引っ越したころを境に疎遠になってしまいました。
その後ずっと、時々思い出してはアイツの事だから今頃はきっと「ルンペンにでもなているんだろう」くらいに思っていましたが、ある日某SNSがきっかけで30年近くぶりに再会する事となり、しかも彼はルンペンはおろか何と銀座で美容師をやっていると聞いて、腰が抜けるほど驚きました。
それが10年前。
その時の気持ちを綴った文章です。
それなりに的確に書けていると思うので、本人は何度も読んでいると思いますが、彼のファンのお客さん達に捧げたいと思います。
※またも異様に長いのでご注意ください。
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2006年11月21日19:51
まあとにかく、この男が美容師で、しかもサロン激戦区の銀座で店長を勤め、更に大勢のファンというか顧客を抱えるカリスマ美容師だったとは、それを知ってからかれこれ2週間が経つけれど、いまだにその事実を真実として受け入れられずにいる。
それはもしかして、彼を子供時代(中学生時代)までしか知らなくて、その後27年もの空白があるせいかなとは思う。それこそ将来の仕事を決定付ける年頃(概ね15~25歳くらいだろうか?)の彼にどんな変化があったのかを知ってさえいれば、このような疑問を抱く事もなかったに違いないんだが、しかし・・・美容師とはあまりに意外だった。
試しに知人の女性を銀座にある彼の店に送り込み、本人を指名させ、その腕前のほどを探らせてみたのだが、なんと彼女はこの男の技に惚れ込み、「イヤと言われてもまた行く」とまで言っている。ちょっと驚きだ。
イッタイナニガオコッテイルノダ!!!???
美容師=女の人(最近は男もアリ?)を綺麗にする仕事。
と考えていて間違いないと思うのだが、要するに、何かを「綺麗にする」仕事ではないか。
少なくとも自分が知っている濱崎は、字もきったねえし、絵も下手だし、学校の掃除だってロクすっぽやらないし、整理整頓できないし・・・うむむ、挙げるときりがない。
とにかく、キレイにするなんて行為からはアルゼンチンくらい遠い場所にいたのだ。
とにかく、そういった感じの(まあ、普通と言えばごく普通の)、何事にも大雑把な子供だった。
不幸にも母親を早くに亡くし、父親の手で育ったせいもあったのかもしれない。物事をあまり細かく考えず、在るがままを受け入れる潔さはある意味、当時の他の子供にはなかった「男っぽさ」だったと言えると思う。
しかし、当時の彼を見る限り、それがそのまま今の「カリスマ美容師」に直結するものは何も無いと言ってよい。本当に何もない。
タイムマシンに乗って過去に戻り、当時の濱崎少年に「君は将来美容師になるんだよ」と教えたらきっと、
「俺は将来社長になるんだ!」
とか訳わかんない返事をしたと思う(それは確かに実現したと言って良いが)。
そして、僕がもしその傍にいたら
「おいハマァ!聞いたかお前、美容師さんだってよ!
よう、美容師さん!グァハハハハハ」
・・・などとからかっていた事は間違いない。
(僕は所謂「嫌なやつ」だったのだ)
彼には彼なりのダンディズムはあった。
自分をカッコ良く見せようとする心は確かに持っていたと思う。
ところが、その基準が他の子供とはちょっとズレていた。例えば沢田研二や郷ひろみやパットマックリンなんかが当時流行りの「かっこいい男」だったのだが、彼はドラマ「俺達の旅」に出てくる中村雅俊なんかに憧れ、ドラマの中での彼らの風体やセリフやらを真似たりしていた(ボサボサ頭・ラッパのGパン・下駄を鳴らしてカロンコロン歩く)。
そんなもんをかっこ良く思う小学生が他にいる訳がない。
だから当然、彼は決してかっこ良くなく、女の子にも全くモテなかった。
結構女の子からモテていた自分には哀れに映ったものだ。
※もし彼が「俺は子供の頃から女の子に人気があった」などとほざいているのを聞いた事がある方、それは真っ赤なウソです。
さて、どんな仕事にも共通して言える事だが、中でも美容師は特に、その華やかな表舞台の裏側に長く厳しい「下積み」がある職種だと思う。苦労して専門学校を出て、厳しい国家試験を通り、ようやく美容師としてのスタートラインに立てたものの、そこから長い長い「下っ端生活」が待っている。一人前に成るためにそこで酸いも甘いも経験させられる。インターン時代は必要不可欠ではあるが、不幸にもそれを乗り切れずにドロップアウトする若者は多いらしい。
僕が良く通う駅前の美容院にも黙々と下積みをこなしている若者がいる。彼女はひたすらシャンプーと、シャンプー後に髪を乾かす(なんつーの?ブロゥ?)のと、床に落ちた大量の髪の毛をかき集めたり、レジを打ったりと、おおよそ国家資格を持たなくても出来そうな仕事しかさせてもらっていない。
髪を切る練習は閉店後、人知れず積んでいる事だろうけれど、夢を持って美容師になり、欲があり、技術を習得して活躍したいと思う者にとってはキツイ期間だと思う。
時々見かけるのだが、その彼女は先輩の美容師がお客さんの髪を切っている時に、ほうきの手を休め、後ろ側からジッと先輩の技を食い入るように見つめている時がある。
技は「見て盗む」ものだ。教わるものではない。
見て盗み、それを正確に再現できる若手は「コイツは筋がいい」という評価を得る。その評価に甘んずる事なく精進すれば名人の領域に近づく事ができる。
ちなみに、「人の真似」がうまい奴は大体何をやらせても筋がいい。ぱっと見に他人の所作を目で盗み、そのイメージを即座に体現出来るのはひとつの獲難い才能だと思う。
ところで濱崎君はその「獲難い才能」を持っていたのか?
僕の知る限り、答えはNOだ。
彼は実に、何をやらせても不器用な男だった。小学校の図工の通知表はいつも1だった(見た事ないけど多分)し、大体、人が良すぎて何かを見て盗むなんて真似の出来ない人間なのだ。
だから、今の「名人技」を身に付けるにあたっては、相当な苦労があったんだろうと思う。多分、人の2倍。いや、20倍は苦労しているはずだ。よくもまあ、そんな厳しい下積み時代をドロップアウトせずに乗り越えたものだ。泣ける。
言いたかないが、尊敬してしまう。
とてもじゃないが、僕には出来ない。
彼の諦めの早さについてのエピソードをひとつ紹介する。
僕と濱崎はよく将棋をさして遊んだ。
僕はさして将棋の強い方ではないが、それでも濱崎が相手では負けた事がなかった。僕は弱いものイジメが好きだったから、その時もいつものようにジワジワと弱い者をあざ笑うかのように攻めていき、あと1手で詰めという所まできている。すると・・・
「ヴェ~ックショ~ィィ!!!」
と、いつもわざとらしいクシャミをして、将棋盤を手でひっくり返すのだ。そして、シャアシャアと「ワリィ。じゃあもう一回やろう」などと抜かす。
そのたびにぶん殴ってやろうかと思うのだが、毎度いかにも「わざとじゃないんだよ」とでも言いたげに間抜けな顔をする。その呆けた顔に気を殺がれ、いつも怒るに怒れなかった。
今度奴と将棋をさす時は、マグネットの将棋盤を持参しようと思っている。
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最後まで読んで頂き有難うございました。